木目込人形「真多呂人形」
【動画】木目込人形「真多呂人形」製作工程
動画時間;2分11秒
- 動画引用先;真多呂人形 TVCM 製作工程
- https://www.youtube.com/watch?v=gJGKOfE8LUo
真多呂人形とは
一筆でスッと描かれ、優しげな目と、ふっくらとした顔と、上品な雰囲気をかもし出す江戸木目込人形(きめこみにんぎょう)。
江戸木目込人形のルーツは、今からおよそ280年ほど前にさかのぼる江戸時代。
当時、京都の上賀茂神社に仕えていた人物である高橋忠重が作った人形が「木目込み人形」の始まりとされています。
京都 上賀茂神社高橋忠重が、遷宮の際に出た、鴨川のほとりの柳の木の廃材に木彫りを施し、そこに溝を彫って神官の衣装の端切れを木目込んだ人形を製作。
この「木目込んだ人形」が評判を呼び、木目込の技術が江戸に伝来しました。
明治の初め頃までは、誕生当時のままの技法で、木目込み人形は作られて時間と手間がたいへんかかり、制作個数が極端に限られたものでした。
その頃、京都で賀茂人形作りの修行を積んだ人形師、吉野栄吉は「なんとかしてこの人形を一般庶民に普及させたい」という一念でいろいろと研究を重ね、じつに画期的な手法を考案しました。
二代目名人、吉野喜代治の手法を伝授し、現代の木目込み人形を確立したのが、初代金林真多呂です。
人形師・金林真多呂が、木調に見える新素材を使用し、姿かたちに改良を加えたものが「真多呂人形」なのです。
三代目金林真多呂さんによりますと、「初代金林真多呂は、京から伝わったお人形なのだから、平安時代の宮中の人々を思わせる、ふっくらとしたお顔立ちがふさわしいと、考えたようです。」とのことです。
初代の名人芸は現代感覚あふれる二代目に受け継がれ、現在の「真多呂人形」の原型はすべて二代目・金林真多呂の手によって完成しました。
その後、日展作家と共に彫刻を学んだ三代目が、表現にさらなる磨きをかけました。
そうして完成された雅やかな「真多呂人形」は、木目込人形では唯一、上賀茂神社から【正統伝承者】のお墨付きをもらっています。
木目込み人形の唯一の正統伝承者
雛人形、五月人形の「真多呂人形」は、「木目込み人形((きめこみにんぎょう))」唯一の正統伝承者として上賀茂神社の認定を受けています。
明治以降様々な変化を経ていく過程で、現在の木目込み人形は、東京の人形師・吉野栄吉が京都から木目込みの技術を持ち帰り、改良を加え、現代木目込み人形の基礎を築きました。
真多呂人形は、大正8年創立ですが、初代の金林真多呂は吉野栄吉の息子の喜代治に学びながら、新たに新しいアイデアを用いて改良して、独自の雅やかな真多呂人形を完成させたのです。
リアルな重厚感と雅さで、種類が多彩な「真多呂人形」
「真多呂人形」は、人形のボディに施した溝に糊を入れ、布を木目込んで造られています。
布の端切れをただ貼り付けるのではなく、1枚1枚、丁寧に木目込むことで、十二単の衣装の重厚感と雅さが、リアルに表現されていくのです!
「真多呂人形」には、ひな人形や、五月人形をはじめ、歌舞伎をモチーフとした伝統芸能人形など、多彩な種類があります。
「真多呂人形」のサイズが小ぶりなのは、狭いスペースでも飾りやすく、収納しやすいようにという配慮からです。^^
京で生まれて江戸で育った木目込人形を、自宅の特等席に飾るとは、なんと風雅な楽しみでありましょう。
家にふっくらとした頬、優しげな目で、上品な感じの「真多呂人形」があると、やさしい気持ちになり、心が豊かになるものですよ♪
コンパクトな雛人形キットから伝統を重んじた、「木目込み」雛人形まで
コンパクト雛人形で充分?
昔は、雛祭りの行事が、現在より重要視されて、雛人形自体も珍しく「小さい雛人形だと孫がかわいそう、大きくなったら友達にバカにされる。」と心配なさる祖父、祖母がいらっしゃりましたが、今では、雛人形はどこでも販売していて、さらに、雛祭りの間でさえ、女の子は、他の例えば、ミニチュア ドールハウス キットなどの方に興味がわいてしますことさえあります。(*"ー"*)
ですから、家(部屋)が狭いとか、ひな人形を仕舞う場所がないとかの場合は、ガラスケースに入った小さい雛飾りで良いのではないでしょうか?