岩手県奥州市と周辺の水沢地方地方では、押し絵の技法で製作された「くくり雛」が明治時代中期から昭和時代初期まで、水沢町内の多くの商家に飾られていました。現在も水沢くくり雛保存会や愛好家により製作が続けられるほか、市民を対象とした体験教室も開催されるなど、伝統技法が脈々と受け継がれています。
砂金 竹香(いさご ちっこう)
くくり雛は、綿などを詰めて立体的に表現された「押し絵」の技法で作られた雛人形のことで、「串人形」、「浮き絵」などと呼ばれます。
水沢地方独特の呼び名の「くくり雛(びな)」は、水沢地方では、綿を布で包むことを「くくる」と言うことから「くくり雛」と呼ばれていと考えられます。
奈良時代、中国より伝わった「押し絵」の技法は京や大阪で発達し、羽子板などによって普及していきました。さらに寛政年間(1789-1801)、浮世絵師による「押し絵型」が出版されると、その型紙が普及し一般化していきます。
江戸時代末期には水沢地方にも「押し絵」の製作技法が導入されていたことが判明しています。
明治時代初期以降は、水沢の画人、「砂金竹香(いさごちっこう)」が女性や子供達に教え伝え、明治時代から大正時代に各家々でも盛んに作られ、飾られるようになりました。
>
「くくり雛」の題材は内裏雛や三人官女、五人囃子のほか、 歌舞伎やおとぎ話、歴史上の人物や浮世絵、世俗風景など多岐にわたります。
雛壇に飾り「眺めるもの」であるひな人形に対し、「手にとって見る」という身近さや、平板な作りであるため収納や保管に便利であるという点もくくりり雛独自のものです。
くくり雛の背面には竹などの串がつけられ、木製の台にこの串を挿し、ひな壇に飾ります。
人形の製作は三月節句の約ひと月前から行われ、手習いの師匠から子女へ、また親から娘へと、その技法を伝えていきました。
工房天祥 | 秀光人形工房 | 原 孝洲 | 真多呂人形 |
---|---|---|---|