現在、女の子の節句として定着した雛祭りは、江戸時代になってから。武士階級から町人へと広まり、一般でもお祝いをするようになりました。
今のような雛壇に鎮座する飾り雛は、江戸時代、徳川家康の孫娘で、後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(妻)となった東福門院和子(とうふくもんいんかずこ)が、娘の興子(おきこ)のために作らせたのがはじまりだそうです。
雛祭りが広がるにつれ、各地の大名が雛人形を求め、裕福な町民も加わり、見事な雛人形を見せ合う雛合わせなどの遊びが生まれました。
ただし、地方の一般庶民に広がるのは、明治以降のことです。
衣服や小物など、細部に至るまで有職故実(宮廷のしきたり)に基づき、天皇の婚礼を模した雛人形は、豪華さの極み。
たとえば天皇だけが着ることのできる服の色に黄櫨染(こうろぜん)という明るい黄土色があります。
お内裏さまの衣服も黄櫨染で忠実に染められています。
ひなまつりの「ひな」とは、ひいなといい、小さいものを意味します。
雛人形の飾りはお姫様のお嫁入り道具を縮小した嫁入り仕度の目録の意味を持つ雛型です。
実際の道具のひとつひとつが全て小さくできていて、精緻な作りに感嘆します。
清少納言も『枕草子』の「うつくしきもの(可愛らしいもの)」の中で、ひいなの調度など、「何も何もちひさきものはみなうつくし」と書いていますが、小さきものは、とても可愛らしく心が踊りますね。
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「おひなさま」は、赤ちゃんの将来の結婚式の様子を表しています。だから、お姫様は赤ちゃんの将来の花嫁姿。お着物は将来のウェディングドレスです。お殿様は将来の旦那さんとなります。赤ちゃんがより良いお家に嫁げるように、宮中の結婚式の様子を模しています。
2段目に並んでいる3人の女性は、嫁ぐ時にお姫様と一緒にいらしたお姫様の直属の付き人。お世話や行事等の手配だけでなく、詩や楽器もこなすキャリアウーマンです。真ん中は眉毛を剃った乳母(年長者)が、両端にはお姫様と同年代の女性が選ばれました。
楽器を持っているのは五人囃子。能楽の囃子を奏でています。彼らは基本的に元服前の子供で、江戸時代以前は5人や7人、それ以上の多人数制でした。 なぜ子供かというと、当時儀式中に動くことは無礼とされ、子供だけは許されていたから。楽器を奏でる役目は5人の少年が担いました。
向かって右にいる老人が「左大臣」、左にいる若者が「右大臣」で、2人を随身(ずいしん)と呼びます。宮中や宮家をお守りする武士で、神社なんかでもよくみる2人です。お姫様とお殿様士丁(しちょう)[衛士(えいし)]を守るために弓矢や刀を常備しています。
京都式では、お庭係を担当している仕丁達。ホウキやチリトリ、熊手を持ってやる気充分です。関東式では、荷物持ちをしてくれる侍長(じちょう)となり、傘や沓(くつ)台、台笠を持っています。大人は「すまし顔」が格好よかった宮中では、感情を表に出さないことが良いとされていました。でも、仕丁たちは一般庶民。泣いたり、笑ったり、怒っていたりと表情豊かです。
三人官女をはじめとする家来や嫁入り道具は、沢山飾るほど縁起が良いとされています。
親王飾りに比べて15人飾りの方が飾る手間はかかりますが、とっても華やかですね!!
動画引用先;
- 雛人形 収納飾り 片付けかたの動画です。
- https://www.youtube.com/watch?v=gtv362JeRDg
- (株式会社工房天祥 人形広場)
■このページの文章の参考書籍;
以上の複数の書籍の文章をミックスして書き直しました。
工房天祥 | 秀光人形工房 | 原 孝洲 | 真多呂人形 |
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